はりきゅう日和 

東京 代々木の鍼灸院 SO:UN+DO ひらち鍼灸院の日々雑録

 世界を肯定する哲学 保坂和志 著

奥付を見たら初版だったので、2001年に購入したもの。この本は落ち込むと繰り返し読んでいたのでいつ購入したか忘れてしまってました。気持ちが「自己否定」に傾きかけると「危ないぞ!」と軌道修正しようと、この本を手にしていました。

この本が読者に届けたい言葉は、いたってシンプル。

私が生まれる前から世界はあり、私が死んだ後も世界はあり続ける。

ということ。
そのことを実感する事が出来るようになれば、今こうして悩んでいることなんて馬鹿馬鹿しく思えるんだろうと思ってページをめくってましたね。

繰り返し読んでいた理由は、もうひとつあって、東洋医学について述べられている箇所があるからなんです。購入した動機も、本屋で目次をめくったときに「東洋医学」の文字が目に飛び込んできたからでした。
ちょっと長いけど、引用します。 

 科学や医学が体系を持っているように、東洋医学もやはり体系を持っている。東洋医学は外科手術においては厳然と西洋医学に劣るけれど、体系を持ちつつもすべての事象を包括できないのは西洋医学も同じことで、予防医学というような分野ではむしろ東洋医学の方に分がある。最近東洋医学が見直されてきて、漢方薬の有効性を西洋医学の観点から実験的に照明したりしているけれど、それをもって「証明」が成り立つとする考え方はおかしい。 
 ここで「信憑性」などという言葉を持ち出すといかにも私が東洋医学を疑っているように聞こえるだろうけれど、そういうことではなくて、何かの信憑性はそれが正しく体系を持っているかどうかということだけでじゅうぶん証明可能なのではないだろうか。西洋医学と東洋医学は別々の体系なのだから、漢方薬の「甘草」なり「人参」なりを成分に分解するという、部分だけを取り出して判断する西洋医学的な方法は、「西洋医学の立場から承認できる」と言っているだけであって、西洋医学が少なくとも現時点で全体を包括しうる体系でない以上、結局その方法は東洋医学の正しさを(=真理)を証明したことにはならない。
―後略―

このくだりが心にひっかかり、自身へ問いかけを繰り返してきました。
鍼灸は科学化できないよ」と断言なさっている古典派の先生もいらっしゃいます。
私自身、古典的鍼灸術を用いて治療していますので、古典的鍼灸術の効果をを科学的に証明する事は難しいだろうという実感はあります。ですから、この文章の中の「何かの信憑性はそれが正しく体系を持っているかどうかということだけでじゅうぶん証明可能なのではないだろうか。」という箇所を読んだときには「そうだよな、うん、うん」と思ったのでした。
しかし、鍼灸の効果を科学的に証明しよう、医療として有効な手段であることを国民に認知してもらおうと、情熱をもって研究されている先生方を知っていますので、「それではその先生方の努力はどうなんだ?」」とも感じていました。しかし、それもたとえ正しさの証明にはならなくても、現在の医療システムが西洋医学なのですから「西洋医学の立場から承認できる」ということが、決して小さなことではなく、十分に大きな成果に繋がるものであるのだと、何回か読み返して思い至ったのでした。

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

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