vol.42 漢方鍼医会本部会 4月例会
午前:第14回学術総会
会長講演 「伝統医学について」福島賢治先生
正直に書きます。
会長講演の前の総会で司会の大役を仰せつかってしまい緊張していたのと、前日も23時まで往診していたので、任務終了し椅子に座ったとたんほっとしたのか、猛烈な睡魔に襲われ、ノートは真っ白…でありました(^_^;)。
午後:学術講演「難経の真意」池田政一先生
某ブログで画像だけは確認していた池田政一先生の「難経真義」の現物をこの日初めて見ました(といっても友人が購入したもの。私は5月に受け取る手筈なので)!
現物は予想以上に立派でしたー。様々な方の愛情が込められているのが窺える装丁です。
布張りの素材、字体などなど、こだわりまくった作りです。
手元に届くのが非常に楽しみでありました。
3月末に京都で行われた第22回経絡治療学会学術大会では難経についての講演はなかったはずですから、今回が出版後初の難経の講義となりました。
ノートを見返したら、なんと20ページもあり(私のノートは字が大きいのですが、ここまで多いの講義はあまりありません)、どうまとめよう…と思案していたら時間だけがどんどんと過ぎてしまいました。
思い切って、バサッとキーワードだけ拾うことにします。
難経は膝と膝を突き合わせて「アナタ、どう思います?」とやるのが良い。
冒頭、こんな話から始まりました。
以前の講義では「難経はわざと読んで簡単には分からないように書いてある。読み手を選ぶ書なのだ。志の低い人間がすぐに理解できないように書いてある。なぜなら医術というのは人格、学、術が備わった人が携わるべきものだから」と仰っていた、と記憶している。
あっ、そうそう「臨床をやっていない人が読んでもその真意は理解できない」とも仰っていた。
池田先生は「難経が言わんとしていることはカクガク云々です」と仰りたいのではないのだと思う。
難経解説本はたくさん出ていて個性的な解説本も多い。
中には間違った読みというのもあるのだろうけれど、間違いというよりも、それぞれの先生方が臨床をやってきて、何度も難経を読み返し、難経を理解する上で必要な他の書にもあたり、また難経を読み、臨床し…その結果の解説本なのだから、読み手の姿勢としては有難く拝読するという受身の姿勢ではなく著者と「アナタ、どう思います?」と会話しているように読め!ということかなと(初学者ゆえ、恐れ多いけれど)受け取りました。
そして、難経における補・瀉・寫、衛気・榮気と「素問・霊枢」でのこれらの語で表された現象との違いなど論じながら
難経こそ経絡治療
と強く仰った。
中盤以降は、各難(75難、81難、33難、49難、50難)を昭和鍼灸勃興の歴史や中医学での解釈などと比較しながら、実際の臨床例を挙げ解説してくださった。
病がどこから来たか?
これが後半のもっとも重要なキーワードだったように思う。
時間が限られていたので、かなり駆け足だったけれど、この辺は「古典の学び方」で復習できるお話。ちゃんと復習しよう!
基本は痛くない鍼を刺すこと
欧米でドクターが行う「鍼治療」と称するものへの危惧も含め、こう仰った。
この言葉をどう受け取るか?これが治療家としての分かれ目となるなあと、ノートを読み返して思った。
最後、質問も非常に盛り上がったが、その中で「輸寫」の手法について懇親会(私は往診があったので欠席)では参加者の手に実際にして見せてくださったという。
友人に頼んで感触をメールしてもらったが、こういうのは実際にしてみてもらわないと分からない。
こういう機会を得るか逃すかも、治療家としての鼻を効かせられるかの分かれ道である。
※5月に2日間に渡り長野仁先生とのコラボで行われた「難経解説」を受講した後に、この文章を書いています。