はりきゅう日和 

東京 代々木の鍼灸院 SO:UN+DO ひらち鍼灸院の日々雑録

vol.11「祖母が逝く前に」

昨日の午後2時23分、母方の祖母が亡くなった。享年91歳であった。
入院時の傷病名は「高アンモニア血症、肝臓・腎臓障害」。
今月初めに意識が混濁し、その後持ち直したものの、1週間前に再び昏睡状態に陥り入院。
祖母は、胃がん(4分の1を残し切除。術後は体重が30kgまで減少してしまったが、ピザもパスタも孫と同じものを食べていた。量は少しだけれど)→大腿骨骨頭骨折(手術で人工骨を入れ、厳しいリハビリに耐え、寝たきりになることなく回復)→大腸がん(予後は不明)を乗り切った不死身の大正女であったが、この1年ぐらい前に腰痛を訴え始めてから、床についていることが多かったようである。

そろそろ危ないと連絡を受け、昨日朝早く、新幹線に乗り病院へ向かった。
2、3日前までは目は開かないが、呼びかけに頷いたり、手を握り返したりしていたそうだが、昨日は呼びかけにも反応はなく、力なく肩で息をしている状態であった。
昨日の朝からは、尿がほとんど出なくなってしまい、手も足も浮腫んでパンパンになっていて、薄い皮膚を破って水が溢れてきそうな程になっていた。
何が出来るわけでもなく、ただただ手足を撫で擦っていると、叔母がこう言った。
「何か出来るならしてやって・・・おしっこ出るような鍼とかないの?」
祖母に鍼をするなんて事はまったく考えていなかった。だいたい病院で鍼を持ち出す行為自体、理解されにくいものである。それは昨年父が胃がんで手術した際に痛感していた。
しかし、昨日は自己治療用に鍼を携帯していたので、鍼をしたからといってもうどうなる状態でもないけれど、鍼をさせていただくことにした。

もうすぐ亡くなっていくであろう人の脈というものを、私は初めて拝見した。
水が透明に透けて見えるほど停滞していて、その奥に脈がある。ものすごく深く指を沈めないと触れてこない。しかし、沈めていくと想像したよりもしっかりと脈を打っている。脈を診たときは「そんなに悪い脈じゃないじゃない」と感じたのだが、今にして思えば、「どこといって悪くない脈は死脈である」だったのかもしれない。尿が出ない、水が停滞し手足が浮腫んでいるという病症から、右太谿穴に1寸2番の銀鍼で接触鍼をした。
ぱーんと張り詰めていた手の皮膚が少し緩み、しわが出来(これは本当)、足も(気のせいか、そう思いたいだけだったかもしれないが)浮腫みが引いたように感じた。叔母は(多少気を遣ってくれたと思う)「浮腫みがよくなったね」と言ってくれた。
しかし、尿は相変わらず出ずに、その後私と父が買い物に行っている間に、少しずつ脈拍が遅くなっていき、買い物から戻りまもなく息を引き取った。苦しまない安らかな最後だった。
祖母は、常にあきれるほど前向きで、何度も病気したけれど、「オレ(私の地元では、ばあさんは自分の事をオレという。方言のようです。)は病気に負けないんだ、絶対やっつけてやるんだ。」と言っていた。だから、今度も医者はもう駄目だと言っているけど、万が一ってこともあるかも・・・とみんな密かに期待していたのだ。
しかし、私が来るまで頑張って生きていてくれ、昨日はひ孫の運動会だったのだが、それが終わってみんなが集まれる頃になって「もう、いいかな」とでも思ったかのようなタイミングで逝ってしまった。

叔母の話では、祖母は私が開業したことをとても心配していて「患者さんは来ているのか?」と何度も尋ねていたという。有り難いです・・・

ばあちゃん、私が行くまで、生きていてくれてありがとう。鍼をさせてくれてありがとう。